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忘れるためのなぐりがき

短編小説や、映画・アニメの感想を書いています。

雑な覚書:「信仰」の勧め方について

その他

私は映画館や美術館が好きで、結構な頻度で行きはするが、そうではない人に映画館や美術館をお勧めする際、以下のようなロジックを気に入って使っている。

【映画館】数千万~数百億円の製作費をかけて作った動画を、たった1800円で見れるのって、得じゃない?
(※自主制作や、あるいは殆どそれに近い作品については、ふだん映画を観ない人にとっては良さが分かりづらい場合が多いので、そもそも勧めない)

【美術館】陳列してあるものの値段(数十億円)を考えたら、たった1000円前後で見れるのって得じゃない?

つまり、「〇〇円のものを、たった✕✕円で垣間見ることができる」という、金銭的なお得感を打ち出すのだ。
このような物言いをすると、相手が実際に足を運ぶかどうかは別にしても 「そっか、そう考えると実は結構いいものなのか……」という感じで、映画館や美術館に対し少なくとも親しみを持ってもらうことに成功している、ような気がする。

このような書き方をすると、まるで私は「人や物を全てお金に換算する超ろくでもないヤツ」のように見えるが(実際、その気がないのではないが……)、心の中では「そうじゃない!」と叫ぶ部分あるからこそ、あえてお金に頼るロジックは意外と「アリ」だと考えている。

ある対象に、お金には換算できない価値を信じて、お金を払えるかどうか。
本来ならば貯蓄に回した方がいいような金額まで、あるいは将来に借金をしてまで、後先考えずにぶっこめるかどうか。

その対象は、人によって実に様々であり、さしずめ百人いれば百通りの違う「宗教」があるといったところだ。
「自分はこれが好きだから、あなたも好きになって!」というロジックは、お勧め方法としては一見極めてまともだが、ともすると改宗の強要になりかねない。
すなわち、一見相手を思った好意に見えて、実は相手の信仰を尊重していない。

誰にでも、その人なりに人生色々なことがあった結果、その人の信仰へたどり着いた……ということに想いを巡らせた時、各人の信仰に割くリソースを、そのほんの一部でも自分の宗教に回してもらうことには、よっぽど何か強い「正当性」が必要である。(また同時に、相手の宗教へ軽々しく土足でお邪魔することは、よほどの覚悟がない限り不幸な殺傷事件を生むだけなので、してはいけないことのように思う。)
だからこそ、違う宗教の人に自分の宗教を勧める際、ひとまずはお金という共通言語(※)に換算し、それ以上の価値判断は相手に任せるという態度が、精一杯の誠実さではないか。

ある対象に、お金にできない価値を見出しているのは、私もあなたも一緒。
違うのは、その対象の種類ってだけ。
そういう感覚を、忘れないようにしたい。

※同じような共通言語として、「あり得ないほどエロい」「あり得ないほどグロい」「超不謹慎」あたりは、使えるのかもしれない。

※この適当かつ最低な文章を書いたうえで、PCの画像フォルダをひっくり返して、なんとなくピンときた画像。信仰と覚悟。

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