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忘れるためのなぐりがき

短編小説や、映画・アニメの感想を書いています。

雑な感想:『淵に立つ』 ※ネタバレあり

夫婦に足りなかったのは、コミュニケーション?

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「歓待」「ほとりの朔子」などで世界的注目を集める深田晃司監督が浅野忠信主演でメガホンをとり、第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞した人間ドラマ。下町で小さな金属加工工場を営みながら平穏な暮らしを送っていた夫婦とその娘の前に、夫の昔の知人である前科者の男が現われる。奇妙な共同生活を送りはじめる彼らだったが、やがて男は残酷な爪痕を残して姿を消す。8年後、夫婦は皮肉な巡り合わせから男の消息をつかむ。しかし、そのことによって夫婦が互いに心の奥底に抱えてきた秘密があぶり出されていく。静かな狂気を秘める主人公を浅野が熱演し、彼の存在に翻弄される夫婦を「希望の国」「アキレスと亀」の筒井真理子と「マイ・バック・ページ」の古舘寛治がそれぞれ演じた。

淵に立つ : 作品情報 - 映画.com

  いわゆる「一見平穏な家庭に異物が侵入してくるモノ」(そんなジャンルがあるのか?)ですが、鑑賞後のざわつきを、言葉にするのが難しい映画です。これがハリウッド娯楽作なら、気弱なパパが最後に勇気をふり絞って異物を退治、家族はめでたくハッピーエンド……となるのでしょうが、今作はそう簡単な筋書きにはなりません。罪や罰といった宗教的なテーマを扱った作品にも見えるし、日本の家父長制の弊害を捉えた社会的な眼差しもあるし、浅野忠信スリラーでもあるし、ところどころ登場人物なんでそんな言動を?、と「?」マークでいっぱいになるし、一言でまとめづらいのです。

 とはいえ、監督には何かしら伝えたかったことがあり、それに上記のような肉付けをして映画は出来上がったはずで……。作品HPを見ると、監督インタビューとして、次のような言葉がありました。

孤独な人間たちが、それでも生きていかなくてはいけない不思議を、家族という不条理なつながりを通じて描きたいと思いました。

日本語の『淵に立つ』のニュアンスは英語に訳しづらく、ワールドセールスの担当者に他のタイトル案をいくつか出してもらい、そのなかからHarmoniumを選びました。ハーモニー(調和)を連想させる言葉でもあり、不調和を描くこの映画にふさわしいと思い気に入っています。

 人と人との間に発生する「不条理なつながり」、「不調和」。これを受けて私は、この映画は「もっと他人とコミュニケーションを取れ! 夫婦なら、なおさら!!」と叫ぶ作品だと、受け取りました。

 物語は、郊外で金属工場を営む鈴岡家に突然、八坂(浅野忠信)がやってくるところから始まります。八坂に対し、夫は「昔の友人だ」としか説明せず、独断で彼の居候を許します。妻は妻で、なんやかんや状況に流され、挙句の果てに八坂の「僕は過去に人を殺めて~ずっと罪を償ってきて~」的な告白を聞き、キリスト教徒である知見から「この人こそ神に救われるべきだわ!」と好意を抱き、結局正体を追求しません。ここで見えてくるのは、妻に隠し事をしコミュニケーションを取ろうとしない夫と、状況に流されるか信仰で思考停止する妻という、夫婦それぞれの問題点です。
 このような夫の卑小さ、妻の意志薄弱さが災いし、ある日一家に悲劇が訪れます。すなわち、イイ感じになったと思った妻にカラダを拒まれた八坂が逆上し、娘に暴力をふるうのです。第一幕は、夫妻が公園で頭から血を流して倒れる娘を発見する一方、八坂が足早に立ち去るところで終ります。

 第二幕は、第一幕の8年後からスタートします。八坂がもたらした悲劇は一過性のものではなく、「娘の身体と知能に障がいが残る」という形で、いつまでも鈴岡家に残留します。娘の障がいは、八坂を中途半端に受け入れた自分のせいだ……と自責する妻に対し、どこか晴れ晴れと仕事に励む夫。実は夫は、「過去に八坂と共に犯し、いつまでも罪悪感を抱いてきた犯罪は、娘の障がいという罰によって清算されたのだ」という想いを抱くようになっていたのでした(もちろん、妻には一切打ち明けません)。一方の妻も、持ち前の信仰心から罪悪感を乗り越えるかと思いきや、潔癖症にかかりつつ家庭生活を続けるという、受動的な態度に甘んじています。
 歪な形で継続される鈴岡家にある日、第二の侵入者・八坂ジュニアが登場します。八坂の顔を見たことがなく、母子家庭で育ったという八坂ジュニア。そんな彼に対し、夫は「八坂の息子であることは誰にも言うな」と、またしても妻へ隠し事をします。妻は妻で、八坂ジュニアの正体が露見したとたん、夫に離婚を言い渡します。ここでも、夫妻の間に「夫妻にとって、家族にとって、八坂ジュニアに対してどう対応するべきか」という話し合いは、行われません。
 離婚宣言の直後、八坂の目撃情報を受けて、一家(+八坂ジュニア)は八坂を探しに行くことになります。道すがら、妻は八坂ジュニアに対し、「八坂を見つけたら、目の前であんたを殺してやる」と、突然復讐心を剥き出しにします。そうして目的地に到着し、付近を散策すると、なんと目撃情報は誤りで、単なる人違いであることが判明しました。「八坂への復讐心」がポッキリ折れた妻は、八坂の幻影に怯えながら川で母娘心中をします。娘を助けようとした八坂ジュニアも命を落とし、川の淵に夫は一人取り残されます。映画はここで終わります。

 以上見たように、第一幕では八坂、第二幕では八坂ジュニアが侵入してくるわけですが、第一幕でも第二幕でも、侵入者に対して夫妻の間に話し合いは行われません。夫は妻に隠し事をし、妻は諦めて流される。夫妻のこうした態度が、第一幕では娘への暴力、第二幕では母娘の死亡という悲劇に繋がったんじゃないかと思います。奥さんに対し、「こんなに怪しい夫なら、とっくに別れちゃえよ! そもそも結婚するなよ!!」とつい思ってしまうのですが、こうした「孤独な人間たちが、家族という不条理なつながりを作って、生きていかなくてはいけない不思議」こそが、まさに監督が言いたいことだったのかな~という気がしました(からこその、分かり合えない他人、例えば夫婦の間で、それでも必死に分かり合おうとするコミュニケーションが必要になってくる)。全編を通して、浅野忠信の気配が漂うイヤ~な緊張感や、前半であんなに可愛らしかったお嬢さんが……という感がありますが、ズルくて器が小さい夫は最後に1人ぼっちになるし、流されっぱなしの妻は死んじゃうし、ある意味爽快なバッドエンド作品とは言えそうです。もちろん色んな解釈があるので、あくまでも一意見として聞き流していただけると嬉しいです

 Yahoo!映画を見ると、賛否両論分かれているようですが、そこで「この作品の凄さをわからない奴は馬鹿だ!」「なんだと! こんな映画を持ち上げる奴こそスノッブ馬鹿だ!」とコミュニケーションを終わらせるのではなく、自分の意見とどこが同じでどこが違うのか、その理由はなぜか、積極的に対話することが大切なのかな~!と思いました。今作のような作品には、殊更……。