忘れるためのなぐりがき

短編小説や、映画・アニメの感想を書いています。

新宿の喫煙所にて

今日、新宿の端の喫煙所で “いいもの” を見た。

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パチンコ屋の入口兼、居酒屋チェーン等が入った雑居ビルの入口、にあるその屋外喫煙所は、いかにも繁華街の片隅といった汚らしい喫煙所で、いつも誰かが捨てていったコーヒー缶や栄養ドリンクの瓶、煙草の吸い殻、空き箱などが散乱していた。私はそこを結構な頻度で使うのだが、それはアルバイト先から一番近い喫煙所だからという理由に過ぎない。
今日も、11時間勤務(笑)を終えて至福の一服のために向かうと、先客が数人おり、その中に30代くらいの、ちょっとチャラ目の茶髪のスーツの2人組がいた。2人は、何か適当な恋愛トークで盛り上がっているようだった。よくある風景。

しばらくすると、どこかから「カチカチカチ」という音が聞こえてきた。喫煙者ならお馴染み、燃料が切れ気味のライターの火がなかなかつかない音だ。よくある風景。

それだけなら私は気に留めなかった。しかし、私は気付くとスマホから視線を外して、ライターの持ち主に目を向けていた。ライターの持ち主は、痩せ気味のオジサンだった。普通の人なら、ライターの火がつかない場合、3回くらいカチカチしたら諦めるところを、オジサンはなぜか執拗にカチカチし続けている。パチンコに負けたか知らないけど、泣き出しそうな、情けない顔をしていた。

私が顔を上げたのは、オジサンのカチカチが異様にしつこかったからではない。その時、スーツの男性の1人が、オジサンにすっと、自分の煙草を差し出したのだ。

「火、どうぞ」

オジサンは、彼から受け取った煙草に、自分の煙草の先端を押し付けて煙草を吸った。そうして、オジサンの煙草には無事に火がついた。

オジサンから煙草を返してもらうと、男性は何事もなかったかのように恋愛トークに戻った。男性の一連の身振りがあまりに鮮やかすぎて、私はしばらく唖然とした。

煙草から煙草に火を移す行為がどれほどポピュラーなものかはわからないが、友だち同士の飲みの席ならまだしも、普通の感覚ならば自分が自分の煙草に火をつける時に使ったライターなりマッチなりを貸す。ひょっとすると、彼は前に、今日みたいに見知らぬ他人同士が居合わせたどこかの喫煙所で、誰かからこうやって火をもらったことがあったのかもしれない。

何より肝心なのは、彼がその時オジサンが感じていた「煙草に火がつかなくて腹立だしい/不快だ/しんどい」という状況に気がつき、オジサンを見落とさなかったことだ。散らばったゴミと周囲のネオンで眩しく、ガヤガヤと煩い雑踏の中、彼だけがオジサンに反応した。自分が吸っている煙草をパッと離して渡すことは、ポケットからライターなりマッチなりを取り出すよりも、素早く事態に対応できる。

私や彼よりも早めの一服を終えたオジサンは、彼に会釈をし、無言で喫煙所を去った。

生きていくうえで少しずつ溜まっていく負の感情というものは、ある。人それぞれの生来の思いやりや優しさとは関係なく、ほんのちょっとのタイミングだったり、身体の調子だったり疲労の具合で、人間の感情は簡単に狂暴になる。白状すれば私自身、アルバイトの最後の2時間くらいは疲れやら空腹やらで、お客さんに対し心の中で舌打ちするどころか、平気で「なんなんだよこいつ、死ねよ」と思うこともしょっちゅうだ(こうして文章を書く/読む自分は「おいおい」と思うけど、勤務中ってそんなもんだとも思う)。そんな負の感情をやり過ごすために煙草を吸う場所で、喫煙者は周りのことを見ないのは、半ば仕方のないことだと思う(だから、新宿の喫煙所はいつも汚い)。

この些細な事件の顛末について、場所柄、実はスーツの2人はゲイで、オジサンが喫煙所に入ってきたときから「お、イイね」と目をつけていて、イイ感じの人が火に困っていたからちょっぴり意外性のある方法でちょっかい半分火を貸しました~っていう、ナンパごっこ(あくまでごっこ)の一環でした、に過ぎないかもしれない。ちゃんちゃん。
が、彼の動機はどうであれ、行為を通じて表面に出てきたものは、その時のオジサンの負の感情が、確実に消化された、ということ。
泣きそうだったオジサンが会釈で喫煙所を後にしたこと。
見知らぬ者同士の、こういうちょっとした行為の交わし合いが、案外私たちをどこか根底で、絶望の淵から救っている気がする。

 

Paradise is not a foreign land
an aviary's open gate, a man with no countory
or a ship sailing to Byzantium, or a vanquished land
...
Could it be
the eyelash on a pillow
the voice captured on an answering machine
the trains coming and going
all day at Shinjuku Station
are our best witnesses?


楽園は異国の地でも
鳥小屋の開いた出入り口でも、国のない人間でもなく
ビザンチウムに旅立つ船でも、征服された地でもない。

(中略)

ひょっとして
枕の上の睫毛
留守番電話の捉えた声
新宿駅に一日中
入ってきては出ていく電車
それらが私たちの最良の目撃者なのか?

 

Leza Lowitz, "Shinjuku Station" 柴田元幸訳「新宿駅

あのオジサンが、いつかどこかで火に困っている喫煙者に煙草を差し出す時があればいいな……はもとより、「どんなに疲れていても、こんくらいのことは、な?」と、スーツの彼に励まされた気がした。