忘れるためのなぐりがき

短編小説や、映画・アニメの感想を書いています。

雑な感想:『91Days』 過去の憎しみをずっと覚えてられるほど人は強くない(※グロ注意) 

※テレビアニメ「91Days」を、これまでの放送分(=第6話まで)を各話1回ずつ、飲酒しながら適当に鑑賞した最低な感想書き散らしです。

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平穏無事で何もかも楽しかった子どもの頃に、目の前でマフィアに家族を惨殺されたら?

その経験は、辛すぎて想像ができない。

息をひそめたクローゼットの扉の隙間越し、大好きだった父はもとより、優しかった母、天使のように愛らしかった妹、彼らがたちまち赤い肉塊になる。

そんな子ども時代を過ごしてしまった少年は―――

本人の意志とは関係なく、冷徹な復讐マシーンに成り果てるだろう。

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テレビアニメ『91Days』は、禁酒法時代のアメリカを舞台に、主人公アヴィリオの復讐譚を基軸に据えた骨太なドラマを(今時の深夜アニメの中では珍しく)じっくり見せてくれる作品です。

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視聴者は、アヴィリオが経験した少年時代の惨劇に涙し、復讐に憑りつかれたアヴィリオの哀れさに涙し、ところがどっこいアヴィリオがとうの復讐相手と次第に友情を築き上げ、復讐と友愛の間に引き裂かれていく……という悲劇を、美味しく頂ていく。すなわち、主人公が置かれた状況が残酷であればあるほど、カタルシスがどんどん増してくる作品。OP曲中の歌詞「憎しみが消えてしまったら 君を殺せないから」というフレーズだけで、ご飯が何杯でもススんで仕方ないのだ!(「おーい母さん、白米おかわり!!!」)

……しかしながら、ここまで視聴しておいて実は、私自身イマイチこの主人公の復讐譚にノレていません。

理由は幾つかあります。
一つには、「過去のトラウマに支配されたった一つの情念に縋る人間像」に、リアリティを感じられないということ。
臥薪嘗胆という慣用句があるのは、人間は忘れっぽいということの証左です。「昨日の敵は、今日の友」。どんなに傷ついた出来事でも、忘却のおかげで私たちは何とかやっていける。良くも悪くも、それが人生でしょう。
そうした人生の真実に対し、「たった一つの情念を果たすために邁進する主人公」像にリアリティを与える有効な解決法の1つは、情念のきっかけとなる事件の過酷さをとことん追求することです。本作は、主人公アヴィリオに「幼少時に目の前で家族を惨殺された」という解決を与えています。逃げ込んだクローゼットの扉越しに、家族を惨殺された少年(本作はその残酷さをより強調するために、非力な母と妹が襲撃されるシーンを、執拗に繰り返し再上映してみせる)。
アヴィリオは超絶可哀想なんだけど……うーん、なんか、こういうハナシ、これまでいろんな作品に何百回もありませんでした?……なんというか……陳腐じゃないですか?目の前で家族を惨殺された少年が、幸いにもそのことをいつまでも恨み続け、「敵」への復讐を心に誓って大人になって帰ってくる話。
アヴィリオは、人生に「家族を殺した犯人への復讐」という物語がある時点で、相当幸せな人間です。
家族を殺した犯人(やっつけるべきソイツ)が明確で、人生ゲーム上がり!のゴール=ソイツに復讐するが明確にあって、そういう人生ってなんだか羨ましいし、端的にひと昔古い。……と思ってしまう自分がいました。
OP曲(“TK from 凛として時雨 『Signal』”)イントロが、浜崎あゆみの「Moments」イントロにどことなく似ている……と言えば、なんとなくニュアンスが伝わるでしょうか……??(Momentsを貶める訳ではないですが……)


二つ目は、このように「人生に対して明確な目的がある主人公」の物語をより魅力的に見せる方法として、①目的達成のハードルをめちゃめちゃ高くする、②目的に対して懐疑を与える、の2つあたりが妥当だと思うんですが(ア、よく考えたら①の中に②も入りますね汗)、本作は今のところ②路線(=アヴィリオが仇に友情を抱いてしまう)で進んでいるんですよね。
……と、誰もがぼんやり抱く結末を裏切らない路線なのが、端的に退屈なのです。
というか、「憎しみが消えてしまったら 君を殺せないから」をOPにしてしまってる時点で、相当ネタバレしているわけで……

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「アヴィリオが復讐と友情の間でどのように葛藤を抱き、どのような決断を下すか、というドラマを美味しく頂いて下さい」と言われても、そもそも葛藤が想定の範囲内なら結末をいくら凝ったところで味える美味しさは(よっぽどキチガイな仕掛けが無い限り)想定の範囲内……
と、浅ましくも思ってしまったり。

憎しみも愛も、それだけ「相手に関心がある」ことには変わりはない。憎しみと愛の反転はなんにも不思議なことじゃない。文学映画絵画、泰西様々な作品がこの主題に取り組んできたということはそれだけ普遍性のあるテーマとも言えますが、それだけに、新しい解を見つけることはとっても難しいのです。
もちろん、「新しければ何でもいい」というわけじゃないですが、個人的にはこのテーマについての極上の作品は過去に十分あるわけで、それを上回る美味しさが本作にあるか?……と言われると、6話まで見た時点では何とも言い難い。①「目的達成のハードルをめちゃめちゃ高くする」については、今のところアヴィリオ=状況に対して極めて最善な判断を下し復讐完遂へと歩みを進める「有能な復讐マシーン」ぶりが目立ち、「なんかヤバいことが起きてもアヴィリオならどうせ何とか出来るっしょ?」と、早くもミッション/クリアへの興味が薄れつつあります(この先アヴィリオにどんなに難しいミッションが降りかかろうと、クリアへの布石にしか過ぎないっていう穿った鑑賞回路が私の中で成立しかかってしまいました)。②「目的に対して懐疑を与える」についても、OPの歌詞で懐疑の理由(=復讐vs友愛)がネタバレされてしまったので……
うーん、あんまアヴィリオ(の復讐)に興味を抱けないのだよ。


その代り、俄然面白みを感じるのは、第6話に代表されるファンゴというキャラクターの狂気っぷりです。

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この人物は、アヴィリオvs復讐相手という構図の外に立つ、「第三の勢力」として物語に登場してくるのですが、その第三者性を最大限に活用したトリックスターぶりがハンパなく輝いているのです。
それが端的に出たのが、第6話「人肉入りラザニア」事件。
まず、自分が所属する組織のボス・オルコを(いくら日頃の恨みつらみがあるとはいえ)殺して「ラザニアに仕立てる」という発想がどうかしてますし、肝心の「人肉入りラザニア」の真相が、作中では結構曖昧な描写にとどまっている、というのが最高なのです。

第6話ご覧になった方はわかると思います。初見時は、「人肉ラザニアうぇーーーーーーーい!!!!」と、猟奇性にばかり目がいってテンションがだいぶ上がってしまった私ですが(恥ずかしい)、実はファンゴがオルコの死体をラザニアに入れたという決定的な証拠は、無いんですよね。6話の描写で確定するのは、ファンゴが作らせたラザニアの中から人間の歯が出てきたってことだけ。ファンゴは旧ボス・オルコの部下に対し、「てめーらも俺にはむかったらラザニアにすっからな?(=最低最悪な方法で殺すからな?)」という牽制の意味もこめて、あえて(まったくオルコと関係ない)人間の歯を入れたラザニアをオルコの部下に食べさせた、という読みも可能なのです。

(この読解は、「あにこ便」さんのコメント欄を読んで気がつきました。)


ってことで、ファンゴが本当にオルコの肉を入れたラザニアを作ってオルコ部下に食べさせたとしたらキチガイだし、オルコの肉入りと錯覚させる仕掛けをオルコ部下にけしかけたとしてもそもそもその発想自体がキチガイなわけで。
あのラザニアにオルコの肉が本当に入っていようといなかろうと、ファンゴ=キチガイ(視聴者の発想の斜め上を行くトリックスター)ぶりが際立つ……というか、「人肉入りラザニアっていうのはどうか?」という製作陣の露悪さ(想定外を繰り出してくる素晴らしさ)に、度肝を抜かれた第6話でした。

オルコの肉が入っていようといなかろうと、ファンゴの狂気性の強調には変わりない、っていう物語を作っちゃった制作陣のスゴさ。

この第6話が、これまで見てきた話の中で、一番面白かったです。

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「少年時代に家族を目の前で失った復讐相手に友愛感情を芽生えて葛藤する男」にはまぁまぁ順当に頑張ってもらうとして、「上司を殺して上司直属の部下に、上司の人肉入り(と思わせる)ラザニアを食べさせる」男の活躍を、今後期待してやまない本作です。

 

(追記)12話まで見終わった感想はこちら。

ladyrossa.hatenablog.com