読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

忘れるためのなぐりがき

短編小説や、映画・アニメの感想を書いています。

自作短編「猪口令糖耳順(チョコレートじじぃ)」

ショートショート
Iは俺の大学の同期で、数奇な運命の巡り合わせから、長らく俺の担当編集をやっていた。
それが今度の春、定年退職を迎えるとのことで、ああ、オッソロシイ。人生アットイウマだなァ、なんて、珍しくおセンチな気分に浸ったわけよ。その時だよ。
 
「それで、花江先生、来月号の原稿なんですけれども」
 
飲んでた酒を、思わず吹き出しそうになった。
 
「オイオイ、伝説の編集長も、後輩の育て方間違えたんじゃないの?あんた辞めて、この会社ダイジョーブ?」
「あっはっは、こりゃどうも失礼。オイ、こんな時に頼んだって、どうせこの人は書きやしないんだから。後にしなさい。」
「そうそうそうそう。ちなみに、テーマなんだっけ?」
 
30歳そこそこの新担当クンは、「この人たち何を言ってるのかサッパリわからない」といった顔つきで、「バレンタインデーです」と答えた。
 
「なんじゃそりゃ?!あんたんとこ、ホントにダイジョーブなの?」
「近頃、文芸誌なんてサッパリだからね。色々工夫してるみたいんなんだよ。」
「いやいや「アン・アン」じゃないんだからさ、バレンタインなんて、オカシイでしょ。無理無理。」
「まァまァ、そう言わずに付き合ったげてよ。花ちゃんモテモテだから、ネタなんて幾らでもあるでしょ?」
 
そりゃまァ、顔出しでバンバン売り出していた若い頃はありましたよ。色々と。「ファンです」みたいなコから、得体のしれない宅急便がワンサカ来たりもしたしね。
でもさ、還暦すぎても1人身のジジィになんて、今やスナックのママくらいよ。伊勢丹のなんちゃらで買ってきたァ~とか言ってね、毎年律儀に品評会をさせられるのはね。
 
「えー、どうしてもそのネタじゃなきゃダメ?」
 
新人クン、それからシツコク何度も何度も、お願いしますってね。
心温まる旧友の送別会でも原稿催促するくらいのモーレツくんだから、そういうとこは、Iがちゃんと教育してんのね。
 
根負けして、しょうがないから、すっごい昔の話をしてやった。半年くらい同棲した女の子がいたんだけど、結局しょうもない理由で別れちゃって。まァ考えるまもなく、俺って結婚とかそういうの、向いてないんだよね。色々あった後に(色々っていうのは色々)、「最後に」って、バレンタインに呼び出しくらったことがあって。
でも俺、意気地なしだから、すっぽかしちゃったんだよね。ああー、思い出すだけで、顔から火が出てくる。
そういう感じの話をね、「若き日の過ちと未練」ってラッピングで、「"何か"を失ってしまったことへの未練」みたいにね。あーあー、歳は取りたくない。「我ながらいい出来なんじゃないの」なんて思ってる自分がいて、ゾッとした。
口述筆記で、なんとか体裁を整えた。あ、内緒ね、口述ってところは。でも、あんまりバカバカしくって。60すぎたジジィにバレンタイン・キッスよ?まじめに考えられるかっつーの。
 
雑誌の売上がどうなんて、コレっぽちも興味がないんだけど、まァいつも通り売れなかったんじゃない。
体育会系雇うのはいいけど、もうちょっとカシコイ子選べってんだよ。
 
そうこうしてるうちにね、また3年くらいアットイウマにすぎちゃってね。
ちょっと、肺を悪くして、入院することになった。長年の煙草が祟ったとかどうとか、そんなことは、どうでもいいんだけどさ。
 
そんなことより、病院てヤだねェ。作家なんて、「先生、先生」て見てくれだけはよくっても、要はフリーランス
お金なくって、恥ずかしい話、入れなかったんだね、大部屋にしかね。
そうするとサァ、まァ周りがうるさくってうるさくって、原稿はちっとも進まないし、なのに逃げらんないでしょう。一応、これでも月に5本は締め切りなんかがあってさ。編集者がさ、「先生、お加減は」なんて尤もらしい心配顔をしながら、手もみして来るの。催促に。それが何より辛かった。仕事だから、当たり前なんだけどね……。
 
それから、同室のお方々。色んな人がいるんだけどさ、一人ね、モーレツサラリーマンみたいな人がね、腸の手術かなんかでね、まだ50前なのに、俺のちょっと後に入ってきたのよ。
 
こういう時、奥さんは流石だね。先生や看護師さんにしきりに恐縮してるように見えて、歯ブラシとか置時計を持ち込んで、なんだかんだアっという間に、ご自宅の居間を再現しちゃうわけよ。花なんか毎日取り換えてね、「あなた、足りないものある?」ってね。あれはご主人を愛しているというよりも、新手の世話焼き対象が現れて、しかも敵はなかなか強めで、もはやイッパシの女戦士だね。すっかりイキイキしちゃって。ご主人はベッドの中で、力抜けて小さくなちゃってね。
 
でさ、どうやら年頃の娘さんが2人いるみたいなんだけどさ、下の子なんかさ、髪を明るく染めちゃってお化粧もすごく綺麗で(今時の子ってお化粧上手なんだなって、思わず感心したくらいよ)、あれはお父さんのことクソジジィって、絶対呼んでるよね。
 
あ、俺、別にロリコンとかそういう訳じゃないよ。たださ、職業病というかさ、やっぱ他人がいるとどうしても「どんな人かなぁ」って見ちゃうのよ。
 
お姉ちゃんの方は、これがまた妹と対照的にイモでさ、普通はこういうブスの方が、しかめ面とか隠せなくて、お見舞い下手だったりするじゃん(あ、偏見?)。それがさ、意外に「お父さん、大丈夫?」なんて言いながら、着替えを渡しちゃったりしてさ。奥さんもご主人も、そういう相手にはさ、余裕があるじゃない。
 
ところが、問題は妹。あのパツキン娘がね、病室の入り口に立った瞬間、泣き出しちゃったのよ。下向いて。
病室中が、凍り付いたというか、思わずね。びっくりしてね。奥さんがとっさに、入り口に駆け付けて(イモはその場に突っ立ってるだけね、言うまでもない)。
 
妹ちゃんね、「弱ってるお父さんの顔、悲しくて見れない」だって。
そんでね、そんな妹ちゃんを、ご主人がすごく優しい顔で見てるわけよ。
 
なんかその時、家族っていいなぁって思っちゃった。
 
今さら、淋しいとか、そういうのは、もう無いよ?ミットモナイ。
 
でもさ、ああやって泣いてくれるお嬢さんがいてさ、お父さんっていうのは幸せだなぁって、しみじみね。
俺なんて本何冊も書いてさ、そんで大部屋だよ?いいんだけどさ。
 
実はね、あんときチョコレート貰わなかったのは、俺あの子といたら幸せになって本書かなくなっちゃうって、漠然と確信したからなの。俺、ヘンなところで思い込みがあって。芸術家は不幸でなくちゃいけないって。まァ、今でも思ってることなんだけどさ。
あの子、今頃、どうしてんのかな。たぶん、俺と同じくらいの旦那がいてさ、もしかしたらどっかの病室で、ベッドを居間に変えて奮闘してるかもね。
 
罪滅ぼしってワケじゃないけどさ、やっぱもう一回くらい、なんかの賞取ったりしなきゃダメかな、と思ったよ。あの子のために、っていうのもなんだけど、もうちょっとこう、世間様に対してっていうかね。これまでヤリタイ放題やってね、家庭作るってことをやんなかったからね。
 
たとえ普段はクソジジィ呼ばわりでも、やっぱりお父さんはエライよ。もちろん、お母さんもね。
妹ちゃんは放っといてもイイ女になりそうだからさ、イモの方も、まァ、頑張んなさいな。