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忘れるためのなぐりがき

短編小説や、映画・アニメの感想を書いています。

自作短編「すみれ」

最初から、俺は姪の菫が苦手だった。
菫の父親、つまり俺の2番目の兄貴は、少しばかり名の知れた芸能人でたびたび女をとっかえひっかえしたが、その誰もに菫はベタベタ懐いた。
兄貴が首都高で追突事故を起こして即死してからは、兄の実家、すなわち、脛齧りの俺も住んでいるこの家に引き取られ、それからは完全なおじいちゃんおばあちゃん子になった。
子どものくせに、いつもニコニコして、きちんと挨拶ができて、妙に察しがいい。
俺が邪険にしているのをわかってか、菫も俺には近づいてこなかった。
 
菫は父親に似て美しく、父親と違って大層しっかりした優等生に成長した。
演劇の才があり、高校では演劇部に所属している。死んだとはいえ芸能人の娘、そのうえ美人なのに、偉そうなところがないから、学校では大変な人気者だそうだ。
どうしてそんなことを知っているかというと、3年前に心筋梗塞でぽっくり親父が逝った後、ボケてしまったおふくろの代わりに、実質的に俺が菫の保護者として、授業参観やら三者面談やらの対応をしてきたからだ。
教師や知人がいるところでは「仲睦まじい疑似父娘」だが、2人きりになると何も話さないのが、暗黙の了解になっていた。
菫は、ボケたおふくろが大量に作る料理を調節しながら食べる一方、俺は自分が食べたいものを勝手に買い、自分の部屋で食べた。
 
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そんなある日、原稿を提出して出版社から帰った俺が自分の部屋に入ると、中に死んだはずの兄貴がいた。
……いや、兄貴ではない。
洋服や本やらが散乱する部屋の真ん中で、むかし兄貴が着ていたパーカーを羽織った菫が、立っていた。その横顔は、叔父の俺が見間違うくらい兄貴そっくりだった。
どうして菫がここにいるんだ?俺の部屋で何をやっているんだ?なぜ、誰にも見つからないよう、押入れの奥に閉まっていたパーカーを……お前が着ているんだ?
 
「脱げ!それは兄貴のもんだ」
 
かろうじて振り絞った声は、自分でもびっくりするくらい、震えていた。
ゆっくりとパーカーを脱いだ菫は(下着姿になったはずだが何も覚えていない)、それからパーカーをきちんと畳み、部屋をぐるりと見回してから、何事もなかったように軽々とした足取りで出て行った。
口元に笑みを浮かべながら。
 
それ以来、俺に対する菫の態度が、何か決定的に変わった。
まずは、綺麗に伸ばしていた黒髪をばっさり切った。……男のような短さに。
それから、日常におけるちょっとした言動、たとえば廊下を歩く時に立てる足音、人を見つめる時の首の角度、受けごたえなどが、兄貴そっくりになった。朝食や夕食の時間に、声をかけてくるようになった。学校で配られたプリントを、いちいち俺の部屋に届けるようになった。まるで、兄貴を真似る姿を、俺に見せつけてくるようだった。
居間にあるパソコンの検索履歴から、菫はネットに大量に残る生前の兄貴の映像をだいぶ研究したらしかった。伊達に演劇部のエースを務めているのではない。
おふくろが菫をすっかり兄貴と思い込んだため、余計に混乱が広がった。
気が付けば、執拗につきまとう菫を何とか振り切り、部屋の中で1人青ざめる日々が、続くようになった。
 
冷静に思い返せば、菫は天性の観察力で、俺と兄貴の間にあったとある"込入った関係"を、いつの間にか察していたらしい。俺が彼女を憎んでいた理由もそこにあったということに、とうに気が付いていた。
これまで冷淡にされた腹いせに、俺とのゲームにのめり込んでいたのだ。そしてそのゲームに、俺は負け続けた。
 
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菫が兄貴に「なって」半年後の盆休み、1番上の兄貴が帰省した。長兄の家族はそれぞれに用事があるとかなんだかで、彼1人での帰省だった。
長兄はただちに、実家の雰囲気と菫の変わりように、ただならぬものを感じ取ったらしかった。
 
「菫ちゃん、しばらくこの家にいない方がいいかもしれないなぁ。」
「と言ったって、あいつは他に行くところが」
俺んとこ、1番上の姉ちゃんはとっくに家を出てるし、2番目の息子も来年就職だからさ。ボケた婆さんと仲の悪い叔父さんの3人暮らしじゃ、菫ちゃんも可哀想だよ。
 
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しかし、後日改めて話を持ってきた長兄に対し、菫は猛烈に反対した。「学校が違ってしまうのがイヤだ」、「叔父さんとの関係は良好だ」、「部活で男役をやるから、そのために髪を切っただけ」云々。
父親の真似はどこへ行ったのやら、長兄の前では、もとの「優等生の菫ちゃん」を通した。
最初は勢いよく説得していた兄も、最後は菫に負け、説得は失敗した。
 
長兄を見送り、玄関で2人きりになった瞬間、菫は俺にニヤっと笑いかけてきた。
 
「なぁ雄二、今度は絶対に離さないから。」
「頼む、その呼び方だけは止めてくれ。」
 
その時、俺は気が付いた。微笑む菫の腕が、小さく震えていたことに。
そして俺は悟った。
菫の作戦の目的は、俺への腹いせという意味だけではない。長年「奔放な私生活の末に自滅した有名人の娘」というレッテルと戦い、唯一心を許していた祖母には息子としか認識されず……彼女はもう、誰かの心に刃を突き刺し、肉を切り刻む手応えにしか、生きている実感がないのだ。
 
「……あのさ、編集社の人がくれたプリンあんだけどさ、一緒に食べない?」
 
そう声をかけた途端、姪は膝から崩れ落ちた。
気が付いたら、俺は彼女の背を抱きながら、一緒に泣いていた。