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忘れるためのなぐりがき

短編小説や、映画・アニメの感想を書いています。

『思いやりの人間関係スキル 一人でできるトレーニング』:過度な自己主張をしないこと、良い聞き手になること

その他

「思いやりのある人間関係」とは、自分の強さをほかの人に分け与えることではありません。それは自分の弱さや不安、ほかの人の弱さや不安と向かい合おうとすること、そしてそれらを満足のいくやり方で取り扱おうとすることです。このような試みの中に、人間としての強さが宿るのです。(p.1)

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「若者と落語」についての、雑な実感

落語

落語超初心者の雑な書き散らしなので、殴ってやって下さい。

変わるのはメディアであり、現場まで足を運ばせる手法である。細分化していく演者たちを、どう現代の観客に紐づけていくか。演者や主催者が現代的な感性をもって、その時代のお客さんにアピールしていくこと、しかも、メディアや時代の空気感の変化のスピードに、どう対応していくかということ(対応しない、という対応も含めて)。これがこれからの落語には、これまで以上に求められていくことになるだろう。

サンキュータツオ「いま、これから―「渋谷らくご」という実験」早稲田大学坪内博士記念演劇博物館『落語とメディア』展図録, p.89

落語は一方に「笑点」を落語と思っている層がいて、一方にマニアックな層がいて、その真ん中の層が割といじめられがちっていうか(笑)。マニアックな層からはお前わかってないなっていわれ、「笑点」の層からは寄席に行っても難しいでしょ、って言われちゃう。

いとうせいこう「落語と私 私と落語」『東京かわら版』2017年1月号, p.3

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ただの感想:『ザ・コンサルタント』『人生フルーツ』

映画

※意外と多くの方に読んで頂いてしまって、大変感謝です。あくまで匿名でいたいので、内容を一部修正・削除しました(2/1)

【序】ハリウッド映画『ザ・コンサルタント』は、素敵に悪い作品だった。

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雑な感想『バンビ、ゴジラに会う』(1969年):もう、全ての映画は、90秒でいいよ

映画 アニメ

「2016年ベスト映画」みたいなものを書いてもいいんですが(まだ1月だからギリギリセーフなはず!)、昨年見た新旧あらゆる映像作品のなかで最も心に残った作品と、その理由を書き散らしました。作品そのものは90秒ですが、文字数はなんと3000字超です。あと思いっきりネタバレしてます。どうぞご注意下さい。

『バンビ、ゴジラに会う』

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#ポップコーンムービー好き20代から見た、すあまと落語

落語

・現代ではマイナー
・シンプル、素材が少ない
・一生食べれる
・名前だけ聞いてもピンと来ないけど、一度食べてみると良さがわかる
・大抵の年配の方は、ちゃんと説明すると「あー、これか!」って思いあたる節を持っている
・個人商店に売ってることが多い。日本からそういうお店がなくなったら、つまらない。

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Demerara Bakeryのスコーンにキャッキャするのも楽しいが、一軒家の和菓子屋さんに興味を持つような人は、きっと落語も好きになる。

雑な覚書:「信仰」の勧め方について

その他

私は映画館や美術館が好きで、結構な頻度で行きはするが、そうではない人に映画館や美術館をお勧めする際、以下のようなロジックを気に入って使っている。

【映画館】数千万~数百億円の製作費をかけて作った動画を、たった1800円で見れるのって、得じゃない?
(※自主制作や、あるいは殆どそれに近い作品については、ふだん映画を観ない人にとっては良さが分かりづらい場合が多いので、そもそも勧めない)

【美術館】陳列してあるものの値段(数十億円)を考えたら、たった1000円前後で見れるのって得じゃない?

つまり、「〇〇円のものを、たった✕✕円で垣間見ることができる」という、金銭的なお得感を打ち出すのだ。
このような物言いをすると、相手が実際に足を運ぶかどうかは別にしても 「そっか、そう考えると実は結構いいものなのか……」という感じで、映画館や美術館に対し少なくとも親しみを持ってもらうことに成功している、ような気がする。

このような書き方をすると、まるで私は「人や物を全てお金に換算する超ろくでもないヤツ」のように見えるが(実際、その気がないのではないが……)、心の中では「そうじゃない!」と叫ぶ部分あるからこそ、あえてお金に頼るロジックは意外と「アリ」だと考えている。

ある対象に、お金には換算できない価値を信じて、お金を払えるかどうか。
本来ならば貯蓄に回した方がいいような金額まで、あるいは将来に借金をしてまで、後先考えずにぶっこめるかどうか。

その対象は、人によって実に様々であり、さしずめ百人いれば百通りの違う「宗教」があるといったところだ。
「自分はこれが好きだから、あなたも好きになって!」というロジックは、お勧め方法としては一見極めてまともだが、ともすると改宗の強要になりかねない。
すなわち、一見相手を思った好意に見えて、実は相手の信仰を尊重していない。

誰にでも、その人なりに人生色々なことがあった結果、その人の信仰へたどり着いた……ということに想いを巡らせた時、各人の信仰に割くリソースを、そのほんの一部でも自分の宗教に回してもらうことには、よっぽど何か強い「正当性」が必要である。(また同時に、相手の宗教へ軽々しく土足でお邪魔することは、よほどの覚悟がない限り不幸な殺傷事件を生むだけなので、してはいけないことのように思う。)
だからこそ、違う宗教の人に自分の宗教を勧める際、ひとまずはお金という共通言語(※)に換算し、それ以上の価値判断は相手に任せるという態度が、精一杯の誠実さではないか。

ある対象に、お金にできない価値を見出しているのは、私もあなたも一緒。
違うのは、その対象の種類ってだけ。
そういう感覚を、忘れないようにしたい。

※同じような共通言語として、「あり得ないほどエロい」「あり得ないほどグロい」「超不謹慎」あたりは、使えるのかもしれない。

※この適当かつ最低な文章を書いたうえで、PCの画像フォルダをひっくり返して、なんとなくピンときた画像。信仰と覚悟。

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