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忘れるためのなぐりがき

短編小説や、映画・アニメの感想を書いています。

いんなーなんちゃら

(5/14 追記)

五月病だね」
「……そうだね」

解決。

▼実写版『美女と野獣』は、商業的にもポリコレ面でも、100点満点に違いない映画だったが、つまらなかった。POV暴力映画に異常な情熱を傾けちゃった監督による『ハードコア』の方が、100000倍くらい好きだし、凄い価値があると思う。

▼一方、「手作り品は往々にして自己満足に陥りやすい危機があり、然るべき研究開発費を投じて作られた工業製品のコスパの良さこそ、功利主義的に善」っていう、もしかしたらちょっと気持ち悪いかもしれない嗜好は、相変わらずだ。例えば、「家に冷蔵庫が無くても、近所にコンビニがあるなら、コンビニを冷蔵庫代わりに使えばいい」……って思ってしまうので、”高円寺”に住む必要性を、やっぱり感じられない(最近、たまたま高円寺のパン屋巡りに付き添った。概念としての高円寺)。だから逆説的に、海外版と比べた時の、日本版のダサい映画のポスターは、大嫌い。工業製品には頑張ってほしいし、工業製品の分野で頑張りたい。

▼「ある集団で、落ちこぼれとされていた側面が、別の団体では重宝される」……っていう体験をした。よっぽどぶっ飛んだ強者じゃない限り、能力の価値は相対的なもの、なのかな……(考えてみたら、誰かの役に立って初めて、能力って言えるのかもしれない)。具体的には、「あなたは要領を得ないというか、つまり頭が悪いよね」って、あまりに言われ続け、私自身「その通りだな……」ってずっと思っていたのに、近頃「発言に無駄が無い」「わかりやすい」「説得される」と言われることが多く、「え?」と戸惑う。今いる場所で相対的な強みを伸ばしていった先に、私にとっての『ハードコア』に出会えなかったら。毎日、そのことだけが、とっても怖い。この歳で出会っていない時点で、既に何かが手遅れだっていう恐怖が常にあって、でもそうやって恐怖に囚われているうちは一生『ハードコア』には出会えないんだろうなって、尊敬する先輩たちは、行動で語り続けてくる。

▼こうやって、面倒で無意味な物思いに囚われているのが好きで、結局は自分中心で、思いやりが無い人間じゃないかって、久しぶりに前のバイト先を訪れたり、あるいは4月以降に会った人たちとの交流する中で、たまに自分が嫌になる(こんな文章を書いている間に、振られた役割を黙々とこなす同期がいる)。
童話の「幸福な王子」みたいに、周囲に淡々と自分を配る、利他的な人に、なりたい……。

「低温ネタ」限定ライブ『ていおん!』に行ってみた

サンキュータツオさんが主催された「低温ネタ」限定ライブ『ていおん!』の14時の回に行ったので、思ったことを、自分用のメモがてら、書いてみた。

失礼なことを沢山書いている気がするので、先に謝っておきます。
大前提として、「誰もやったことがない/見たことが無い」、あるいは「やる場所を与えられていない」もの、つまり「うまくいくかどうかわからない」ものを、「自分で場所を作って、やってしまうぜ!」って実行しちゃう行動力と勇気が、凄い。
演者の皆様に、「楽しいひと時を、ありがとうございます」って言いたい。

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『牯嶺街少年殺人事件』:映画館でなければギブアップしていた4時間の果てに (※ネタバレあり)

「伝わる言葉を磨く訓練をしたいw」……と思い、140字でぼわーっと発信できるtwitterについては、発信することを辞めました。浅い見方しかできていないことが恥ずかしいですが、自習のために、ブログは時たま更新します。今後とも、よろしくお願いいたします。

4/16 訂正 自分で自分がバカみたいですが、再開しました……ツイッターやりながら、ゆるく新生活をやっていこうと思います。

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映画を見て、久しぶりに、心が内出血した。

夜間中学校に通う主人公が、懐中電灯を頼りに、先が見えない真っ暗闇を手探りで進み、✕✕✕✕✕するまでの4時間。

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図々しさと愛

落語を聞き始めて2年余り、最終的に(最終ってなんだろうw)、桂伸治師匠の「幇間腹」とか、三遊亭笑遊師匠の「祇園会」「蝦蟇の油」みたいな、聞いていて身体にあたりそうな、ぶっ壊れた雑な落語が好きになった。
お二方とも、芸としてどうかはよくわからないけど、客弄りがとてもうまい方だな、という印象を持った。
それは、表面的にゴキゲンを窺ったり、ヨイショしたりすることとは、違う。
毎度お決まりの枕を通じて客席の反応をはかる、時事ネタやメタネタで共感を呼ぶ、等の予防線を張る姿勢(……と敢えて言ってしまいます)とも、違う。

お二方とも、まず、高座に出てきた瞬間の笑顔が、笑顔すぎて怖い。
口を開くと、声が高くて大きいうえ、姿勢も前のめりに崩れ 、「よっ!最近どう?」みたいな調子で(こんなこと仰りませんが喩えです)、フラットにフレンドリーにぐいぐい来るので、こちらは思わずたじたじになる。
どんなにお客さんの数が少なかろうと、高座にあがった瞬間の客席の温度が低くても、この二人は決して手を抜かない。
客席最後列のお客さんのことまでガンガンに睨み、遠くで起こった些細な反応を、喜んで逃さずに拾う。
「やべぇ接客を見てしまった……!!!」っていう感動で、ふぁーっと熱くなる。
だから、伸治師匠のトリの時に「待ってました、大門町!」という掛け声がかかったのを聞いて、「うん、この方には、こういう掛け声かかるよね……」って一人で納得して、嬉しかった。

もちろん、芸一本で魅せるクールビューティータイプの噺家さんも素晴らしいんだろうけど……、私はどっちかというと、芸そのものの良し悪し(それって個人の好みもあり、客観的な指標が無い……?)より、「目の前にいるお客さんが、いかに満足したか?」への関心が高いので、どんな人ともがっちり握手してしまう厚かましい政治家(笑)みたいな噺家さんに、好感を持ってしまう。
がっちりどころか、下手したら複雑骨折させるような握手を、咄嗟の判断で躊躇いなく繰り出せる人は、人間枠を超えて動物として、強い感じがする。

落語についてしばらく時間を割くのはやめよう、って思ったけど、落語から教えてもらったことが沢山あったから、ちょっと総括的に思い出して、書いた。
「お前、絶対、俺のこと好きだろ? いや、好きだよな!!!」っていう、根拠のない図々しさ、やっぱり私は好きなんだろうなぁ。
動機はなんでもいいけれど、自分から人に握手を差し出すことが、愛への一歩じゃないかと思うから。
手を差し出されることは、誰だって、嬉しいことだから。

『思いやりの人間関係スキル 一人でできるトレーニング』:過度な自己主張をしないこと、良い聞き手になること

「思いやりのある人間関係」とは、自分の強さをほかの人に分け与えることではありません。それは自分の弱さや不安、ほかの人の弱さや不安と向かい合おうとすること、そしてそれらを満足のいくやり方で取り扱おうとすることです。このような試みの中に、人間としての強さが宿るのです。(p.1)

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「若者と落語」についての、雑な実感

落語超初心者の雑な書き散らしなので、殴ってやって下さい。

変わるのはメディアであり、現場まで足を運ばせる手法である。細分化していく演者たちを、どう現代の観客に紐づけていくか。演者や主催者が現代的な感性をもって、その時代のお客さんにアピールしていくこと、しかも、メディアや時代の空気感の変化のスピードに、どう対応していくかということ(対応しない、という対応も含めて)。これがこれからの落語には、これまで以上に求められていくことになるだろう。

サンキュータツオ「いま、これから―「渋谷らくご」という実験」早稲田大学坪内博士記念演劇博物館『落語とメディア』展図録, p.89

落語は一方に「笑点」を落語と思っている層がいて、一方にマニアックな層がいて、その真ん中の層が割といじめられがちっていうか(笑)。マニアックな層からはお前わかってないなっていわれ、「笑点」の層からは寄席に行っても難しいでしょ、って言われちゃう。

いとうせいこう「落語と私 私と落語」『東京かわら版』2017年1月号, p.3

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